2008.4.11
【東京都】
旧古河庭園(Map)
今回の上京時には、自分の意志とは関係なく足を運んだ「新丸ビル」「東京ミッドタウン」「秋葉原駅前」などの新名所(再開発された場所)ですが、それぞれその一角だけを見るとどこも同じように見えてしまうわたしは、もう田舎ッペ? と思ったりもしますが、別にいいや!
来る前から何だか「雑司ヶ谷」「六義園」辺りのイメージが頭に浮かんでいたので、時間を作ってでも行かねばとの思いが、帰る前日に実現しました。
上写真は駒込へ行ったついでに寄った(失礼!)旧古河庭園です。
ここはバラがキレイなのですがまだその時期には早く、見ごろは連休明けくらいでしょうか?
ベンチがあちこちに配されているので落ち着けます。
六義園(Map)
造営が江戸時代とは言え、江戸の地にひとりの大名(川越藩主 柳沢吉保)屋敷の庭園として造られたものにしては広大と思えますが、もっと広い屋敷があったのかも知れません。いずれにせよ、いまどきの成金では太刀打ちできない規模と思われます(一時期、三菱の創業者の岩崎家の所有物だったそうです)。
入り口正面にある「シダレザクラ」(カタカナ表記を多く見ますがこれが正しいのだろうか?)とツツジが有名ですが、ちょうど谷間の時期で人出も少なくのんびりできました。
表の庭園も落ち着けますが、裏側の雑木林のようになっている野趣に富んだ辺りがとても好きで、必然的に写真もその辺りのものになっています。
庭園部分はキチッと庭師の方が手入れをしているので、見事以外の言葉は見つかりませんが、この裏側の雑木林部分にも気をつかっているようで、ぬかるみができやすい箇所にはわらの敷物が置かれていたりと、下手な京都の庭園よりも目が行き届いているとすら感じられます。
この作庭の感性は単なる京都の真似ではなく、それを受け継いではいるものの独自の発展形ではないか? と思ったりするのですが……
入園券の裏に「元禄時代の代表的名園」とありますから、江戸文化華やかかりしころであれば、京都に対抗してやろうという意欲があったのかも知れません。
とても好きな庭園なのですが、少し前に高いビルが出来てしまい、ビルが背景に見えてしまうのは東京ではいかんともしがたいのでしょうか。
京都にもそんな場所ありますけどねぇ、100年後には背景のビルは消える予定です……
雑司ヶ谷 鬼子母神(Map)
ここを訪れるようになったのは、映画『東京兄妹』(1995年 監督:市川準 出演:緒方直人、粟田麗)を観てからで、兄妹がひっそりと暮らし、お鍋を持って豆腐を買いに行くような風情が現在も息づいているのでは、と思わせてくれる一画が狭いながらも現存しています。そんな、映画の世界に迷い込んだような錯覚をさせてくれるところがとても好きな場所です。
都電荒川線「鬼子母神前駅」の前にあった、とても味のある建物(やきとり屋だったか?)が取り壊されていたのは、とても残念です。
鬼子母神(「きしもじん」と読むようで、表記の鬼の字には上の「、(点)」がありません)の境内には「創業1781年 上川口屋」の看板が見える駄菓子屋さんがあります。境内に駄菓子屋があり、それが今も商売しているという風情が、子どものころから親しんだ境内を大切にしようとする気持ちを育むであろうことは明白で、この日も子どもたちが、と思ったら外国の子どもがそれも兄妹で(と思われる)駆け寄ってきました。
外国にも駄菓子屋的なお店ってあるのだと思われますが、そのお店にはどんなモノが並んでいるのでしょうか。写真の彼らもこの店がお気に入りのようですから、きっと共通点があるのでしょう。海外で幼少期を過ごされた方、いかがだったのでしょうか?
将来「ここでよく駄菓子を買ったものだ」と兄妹で語り合うころまで、この一画は変わらずにあって欲しいとの願いは、部外者の勝手な思いでしかないですよね……
東京にもいい所あるじゃん!
を確認したかった、というところです。(上写真は境内の大銀杏(おおいちょう)の根)
P.S. 新幹線から京都駅に降り立った瞬間「おお、帰ってきた!」って感じられたことは、自慢してもいいでしょ!?(仕事してないのだから、ここにいる理由はないのですが……)
その車外の空気を吸った瞬間「少し新横浜より涼しかな?」以外には感じるものがなかったということは(新横浜に降り立った時は、その空気がムッと感じられた)、東京近郊においては、大変重要な問題なのではないでしょうか?
※16日より沖縄へ行きますので、来週の更新はお休みです。
──パソコンを持ち歩くのは(withカメラになるので)もう懲りました……
2008/04/15
2008/04/14
鎌倉再認識──円覚寺、建長寺
2008.4.9
【神奈川県】
「京都を知り、鎌倉を見直したい」という思いが強くあったのですが、予定と天候の都合(翌日が雨の予報)により駆け足で定番スポットだけを回ってきました。
そこで感じたのは、わたしはこれまで鎌倉に通って何を感じてきたのだろうか? ということでした。
円覚寺(Map)
「いいくに(1192年)つくろう鎌倉幕府」程度の認識しかないくせに「鎌倉の散策なら案内しますよ」なんて顔をしていたことを思い出し、恥ずかしくなってきます……
京都の禅寺を巡るうちに「鎌倉五山」の表記に接し「そういえば、円覚寺や建長寺にも坐禅道場があったから禅寺なんだよね」という程度の認識で、これまで円覚寺や建長寺を「禅寺」と意識して見ていなかったことに気付き、今回是非にも訪れたいと切望していました。
今回鎌倉の禅寺からは、日本に伝えられた当時の禅思想に近しいと思われる素朴な有り様が、そのまま受け継がれてきたのではないかとの印象を受けました。
しかし鎌倉の禅宗も「臨済宗」ですから、その祖は「栄西」と歴史教科書から習いました。彼の足跡は京都・建仁寺に残されていますが、鎌倉では目に出来ませんでした。
そこでもう一度調べてみると、京都の建仁寺が日本で最も古い禅寺とされるそうで(そこに栄西の名が残されている)、以下のような記述がありました。
建仁寺派:1202年(京都)
東福寺派:1236年(京都)
建長寺派:1253年(鎌倉)
円覚寺派:1282年(鎌倉)
南禅寺派:1291年(京都)
国泰寺派:1300年(富山県)
大徳寺派:1315年(京都)
向嶽寺派:1327年(山梨県)
妙心寺派:1337年(京都)
天龍寺派:1339年(京都)
永源寺派:1361年(滋賀県)
方広寺派:1384年(静岡県)
相国寺派:1392年(京都)
佛通寺派:1397年(広島県)
建仁寺、東福寺は兼学であったので、日本最初の禅専門道場は建長寺であったようですし、鎌倉に残されているものが、日本に伝えられた当時の禅宗の原型をとどめているのではないか、と思われます(より詳しいことの探求は控えさせていただきます)。
京都のそれは、見事に形式化されていることを見ても「日本式」として、お上独自の解釈(?)から基準が定められたのではないかと思われます。
上写真右側は(中央もそうですが分かりにくいか?)、1本の竹から作った装飾ではないかと思われます。
無粋と思うのですが、墓石の写真です。
ここには『東京物語』などの名作を残された小津安二郎監督のお墓があります(「無」とあります)。
ガキころは「残すものは何もない」というような物質的なものを想起していたのですが、今回は「無かったことにしてくれ」(無に帰する)という意志とも受け止められました……
建長寺(Map)
拝観券の裏にある「天下禅林」(てんかぜんりん:人材を広く天下に求め育成する禅寺)の言葉が、スポーンと心に入ってきました。
わたしも確かな意味を理解しているわけではないのですが、この言葉の響きには曇りがないというのか健全な志が感じられ、何の抵抗もなく「いい言葉だ」と受け入れられて、心にしみ込むこと実感できた気がしました。
円覚寺、建長寺には京都の禅寺のような装飾というか贅沢さがありません。
要するに、お上(天皇)がいるわけではないので、鎌倉時代の終焉と共に奈良と同様の「古都」となったわけで、後の権力者達から振り向かれない存在となったゆえ、当時のままの素朴さが残されてきたのではないかという気がしますし、そんな環境こそが禅の修行にふさわしかったのではないかとも思われます。
しかしこれらのお寺は狭い谷筋に建てられていて、東京に近いこともあり手軽な散策に訪れる人も多く、いつの季節でも「ザワザワ」しているので、いまどきの修行場としてはどうなんでしょうねぇ。
だから早起きして坐禅をする、のでしょうか?
頼朝がこの地に幕府を開いた理由のひとつにこの地が、海に面した適度な広さの平地を三方の山が囲んでいる「天然の要害」だったからと聞いた覚えがありますし、朝比奈の切通しは港の開けていた金沢八景付近からの物資運搬路であったと聞きます。きっと鎌倉にはあえて港を作らなかったのだと思われます。
それが敵だけではなく文化の侵入を防ぎ、そのおかげで京都の禅寺のような形式美を求めることなく、大仏や観音様がひとつの浄土として残され「渋い」存在でいられたのかも知れません。
しかし現代では、海の存在は開けていると考えられるので、奈良や京都にはない類の観光客までもが(海を求めて)集まっています。
わたしには、それが最大の魅力とも思われます。京都には海がないので、(海好きのわたしは)たまに窒息しそうになります……
ここの法堂(はっとう)天井画の雲龍図は、京都建仁寺法堂「双龍図」の作者小泉淳作という方によるものだそうです。
描き替えの時期が近かったりすると、龍の天井画を描ける画家は限られてくるというか、そもそもそんな画家の存在自体数が少ないのでは? と思ったりもします。
「けんちん汁」とは、建長寺の修行僧が作っていた「建長汁」がなまって「けんちん汁」になったという説があるそうです。
鶴岡八幡宮(Map)
この日は、夕方に予定があったので通りすがりに1枚だけです。
釈迦堂切通し(Map)
一枚目の写真が北側からのもので、これが南側からになる「釈迦堂切通し」の絵です。
鎌倉を歩き始めたのは、きっとこの絵を探したかったから? とも思うお気に入りの場所で、よく出てきますが映画『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)の舞台として使われたロケーションです。
山に囲まれた鎌倉には多くの切通しがありますが、ここが最も風情のある場所と思いせっせと通っていました。
──もっとワイルドな印象の「朝比奈の切通し」は、機会があればご紹介します。亀ヶ谷の切通しは手軽に行けて「海風の通り道」を感じられる心地いい場所で、峠の場所に椅子が置いてあったります。
●八景島シーパラダイス──4月7日(おまけ)
「白イルカに会いたい!」と訪れたのですが、タイミング的に「運動の時間」だったようで、ジッと見つめ合ってのアイコンタクトが実現せず残念……
新しく「ふれあいラグーン」という施設が新設されて、今風の身近な水族館(動物園)を目指して奮闘中という意気込みが感じられ、また来ようかなぁと思っています。
──「島根のおじさん」にはちょっと会いに行けないと思うので……
【神奈川県】
「京都を知り、鎌倉を見直したい」という思いが強くあったのですが、予定と天候の都合(翌日が雨の予報)により駆け足で定番スポットだけを回ってきました。
そこで感じたのは、わたしはこれまで鎌倉に通って何を感じてきたのだろうか? ということでした。
円覚寺(Map)
「いいくに(1192年)つくろう鎌倉幕府」程度の認識しかないくせに「鎌倉の散策なら案内しますよ」なんて顔をしていたことを思い出し、恥ずかしくなってきます……
京都の禅寺を巡るうちに「鎌倉五山」の表記に接し「そういえば、円覚寺や建長寺にも坐禅道場があったから禅寺なんだよね」という程度の認識で、これまで円覚寺や建長寺を「禅寺」と意識して見ていなかったことに気付き、今回是非にも訪れたいと切望していました。
今回鎌倉の禅寺からは、日本に伝えられた当時の禅思想に近しいと思われる素朴な有り様が、そのまま受け継がれてきたのではないかとの印象を受けました。
しかし鎌倉の禅宗も「臨済宗」ですから、その祖は「栄西」と歴史教科書から習いました。彼の足跡は京都・建仁寺に残されていますが、鎌倉では目に出来ませんでした。
そこでもう一度調べてみると、京都の建仁寺が日本で最も古い禅寺とされるそうで(そこに栄西の名が残されている)、以下のような記述がありました。
建仁寺派:1202年(京都)
東福寺派:1236年(京都)
建長寺派:1253年(鎌倉)
円覚寺派:1282年(鎌倉)
南禅寺派:1291年(京都)
国泰寺派:1300年(富山県)
大徳寺派:1315年(京都)
向嶽寺派:1327年(山梨県)
妙心寺派:1337年(京都)
天龍寺派:1339年(京都)
永源寺派:1361年(滋賀県)
方広寺派:1384年(静岡県)
相国寺派:1392年(京都)
佛通寺派:1397年(広島県)
建仁寺、東福寺は兼学であったので、日本最初の禅専門道場は建長寺であったようですし、鎌倉に残されているものが、日本に伝えられた当時の禅宗の原型をとどめているのではないか、と思われます(より詳しいことの探求は控えさせていただきます)。
京都のそれは、見事に形式化されていることを見ても「日本式」として、お上独自の解釈(?)から基準が定められたのではないかと思われます。
上写真右側は(中央もそうですが分かりにくいか?)、1本の竹から作った装飾ではないかと思われます。
無粋と思うのですが、墓石の写真です。
ここには『東京物語』などの名作を残された小津安二郎監督のお墓があります(「無」とあります)。
ガキころは「残すものは何もない」というような物質的なものを想起していたのですが、今回は「無かったことにしてくれ」(無に帰する)という意志とも受け止められました……
建長寺(Map)
拝観券の裏にある「天下禅林」(てんかぜんりん:人材を広く天下に求め育成する禅寺)の言葉が、スポーンと心に入ってきました。
わたしも確かな意味を理解しているわけではないのですが、この言葉の響きには曇りがないというのか健全な志が感じられ、何の抵抗もなく「いい言葉だ」と受け入れられて、心にしみ込むこと実感できた気がしました。
円覚寺、建長寺には京都の禅寺のような装飾というか贅沢さがありません。
要するに、お上(天皇)がいるわけではないので、鎌倉時代の終焉と共に奈良と同様の「古都」となったわけで、後の権力者達から振り向かれない存在となったゆえ、当時のままの素朴さが残されてきたのではないかという気がしますし、そんな環境こそが禅の修行にふさわしかったのではないかとも思われます。
しかしこれらのお寺は狭い谷筋に建てられていて、東京に近いこともあり手軽な散策に訪れる人も多く、いつの季節でも「ザワザワ」しているので、いまどきの修行場としてはどうなんでしょうねぇ。
だから早起きして坐禅をする、のでしょうか?
頼朝がこの地に幕府を開いた理由のひとつにこの地が、海に面した適度な広さの平地を三方の山が囲んでいる「天然の要害」だったからと聞いた覚えがありますし、朝比奈の切通しは港の開けていた金沢八景付近からの物資運搬路であったと聞きます。きっと鎌倉にはあえて港を作らなかったのだと思われます。
それが敵だけではなく文化の侵入を防ぎ、そのおかげで京都の禅寺のような形式美を求めることなく、大仏や観音様がひとつの浄土として残され「渋い」存在でいられたのかも知れません。
しかし現代では、海の存在は開けていると考えられるので、奈良や京都にはない類の観光客までもが(海を求めて)集まっています。
わたしには、それが最大の魅力とも思われます。京都には海がないので、(海好きのわたしは)たまに窒息しそうになります……
ここの法堂(はっとう)天井画の雲龍図は、京都建仁寺法堂「双龍図」の作者小泉淳作という方によるものだそうです。
描き替えの時期が近かったりすると、龍の天井画を描ける画家は限られてくるというか、そもそもそんな画家の存在自体数が少ないのでは? と思ったりもします。
「けんちん汁」とは、建長寺の修行僧が作っていた「建長汁」がなまって「けんちん汁」になったという説があるそうです。
鶴岡八幡宮(Map)
この日は、夕方に予定があったので通りすがりに1枚だけです。
釈迦堂切通し(Map)
一枚目の写真が北側からのもので、これが南側からになる「釈迦堂切通し」の絵です。
鎌倉を歩き始めたのは、きっとこの絵を探したかったから? とも思うお気に入りの場所で、よく出てきますが映画『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)の舞台として使われたロケーションです。
山に囲まれた鎌倉には多くの切通しがありますが、ここが最も風情のある場所と思いせっせと通っていました。
──もっとワイルドな印象の「朝比奈の切通し」は、機会があればご紹介します。亀ヶ谷の切通しは手軽に行けて「海風の通り道」を感じられる心地いい場所で、峠の場所に椅子が置いてあったります。
●八景島シーパラダイス──4月7日(おまけ)
「白イルカに会いたい!」と訪れたのですが、タイミング的に「運動の時間」だったようで、ジッと見つめ合ってのアイコンタクトが実現せず残念……
新しく「ふれあいラグーン」という施設が新設されて、今風の身近な水族館(動物園)を目指して奮闘中という意気込みが感じられ、また来ようかなぁと思っています。
──「島根のおじさん」にはちょっと会いに行けないと思うので……
2008/04/08
東京雑感──暮らすなら京都!
2008.4.1-6
【東京都・神奈川県】
九品仏(Map)
4月1日に上京しました。
新横浜で新幹線から降り立った最初の印象は「ムッと来るこの空気は何?」(息が詰まる感覚)でした。
数字からイメージする気温の感覚より高く感じられることに通じるのではと思いますし、京都・大阪(高槻)では、逆に数字からイメージする気温より低いのでは? と感じていました。
「東京の空気は不純物(有害物質?)密度が高いのではないか?」というのが新横浜に降り立った時の第一印象です。
もちろん(?)喫煙車両から出てきたわけですから、その有害物質の種類が違うと感じたことを伝えたかったのですが、季節柄、花粉等の影響があるのかも知れません(夏は新横浜に降り立った瞬間「あぁ、涼しい」と感じたものですが)。
そんな経験をされた方はいらっしゃらないでしょうか?
前回の宿題と言いますか、九品仏(浄真寺)に行ってきました(近くに住んでいたのに、関心が無かったもので)。
やはり京都の浄瑠璃寺と同様に、九つの仏様を祀る「九品往生」(くほんおうじょう)という思想に由来することから「九品仏」という通称が生まれたようです(1678年開山というので江戸時代)。
その由来は、人物・物の性質をまず上品・中品・下品に分け、それをまた一品ずつそれぞれ上・中・下の三品に分け「九品」とするそうで、「上品(じょうひん)」「下品(げひん)」の語源はこれによるのだそうです。
出てくる頃、関西の桜はまだ5分咲き程度でしたが、こちらはちょうど満開というか散り始めでしたので、得をしたのか損をしたのか(プロセスを楽しめず)よく分かりませんが、観ることはできました。
桜の満開は関東が早いのですが、花粉は関東の方が遅いようです。
と言うか、飛散の全体量が多いのかも知れません。
花粉症の方、もうしばらくの辛抱です……
砧(きぬた)公園(Map)
今回の東京訪問では、以前暮らしていた東横沿線の武蔵小杉隣の新丸子のホテルに滞在しています。
以前の生活空間を歩いてみましたが、見覚えのある(2年前とは大きく変わらない)商店街などの光景が見られるのですが、どうも実感をつかめない距離感のようなものがあるように思えてしまいます。
生活感とはそういったものなのだろうとは思いますが、思い出されるのがどうも良くない印象ばかりというのは、わたしがネガティブな人間である証明なのだろうか? とも思いますが、人はみなそう言う面を持っているのではないか? と言う程度は言わせて下さい……
武蔵小杉(Map)
武蔵小杉周辺は再開発の真っ最中で、どデカイマンションが林立しており、どうなっちゃうんだ? という印象です。
大阪でも土地をかき集めてビルを建てて売っ払うことでお金にしようとする動きが活発ですが、現在それが可能な地域は東京圏に限られているのではないかと思われます(東京の真似をして大阪はまた痛い目に遭うのでは?)。
神戸や大阪の中心地では取引が活発なようですが、新幹線の駅のある新神戸や、南港ポートタウン線と地下鉄のターミナルである住之江公園駅の駅ビルなどは空き店舗が目についたりします。
前述は最近見た一例ですが、日本はもう既に成長の限度(ピーク)を超えていると思われてなりません。
経済のグローバル化に対抗するために、国内でも大きな収益を上げようと「寄せて、集めて、上げて」見栄えを良くして売りつけようとする商売が目につくように思うのですが、もうそんな商売が成り立つのも東京だけなのではないでしょうか?
東京が大きくなることは、日本の象徴(シンボル)として悪いこととは思わないのですが、立ち止まって考えてみれば問題点は誰の目にも明らかになると思われます。
ひとりの女性が出産する子どもの数は2人以下で横ばいを続けているので、人口は増えていきません。
だからといって、海外からの移民を大々的に受け入れるという政策がとられているわけでもなく、国民の心理としても受け入れられるとも思えません。
そんな状況下で東京に「寄せて、集めて、上げて」しまったら、地方が陥没してしまうことは明白と思われます。
東京中心の発想しか持たない政府は「ダメなら東京にいらっしゃい!」とでも言ってるように思えて仕方ありません。
地方出身で東京に暮らしている方々も「今の生活を守ることが第一」でしょうから、故郷への思いはあれど地元を支えるという余裕など無い人の方が圧倒的と思われます。
でも、どうしたらいいのでしょうか?
このままでは「帰る故郷」が無くなってしまう、という視点から「故郷創生的・日本列島改造論」というようなものが必要だなんて思ってしまうのですが、ちょっと大風呂敷すぎますかね……
新宿御苑(Map)
京都では高層建築物の自主規制を始めています。100年単位で町の将来を考えられる都市は、日本では京都だけではないか? と思ってしまいます。
確かに、資産価値がある町だからそれを守ろうとする原動力が生まれることも理解できますし、町作りにはそれくらいの「ビジョン」がなければ、外に誇れるものはできないのではないか? とも思えます。
近ごろの東京では「江戸」なる名称を使いたがるように思われますが、それはどんなビジョンによるものなのでしょう。
経済を牽引する都市に都市計画のようなビジョンは持てない、という考えも理解できますが、わたしが住みたい町を選択するならば、比較以前の答えと言うのでしょうか「絶対、京都!」です。
と言うか、住みたいなぁ〜。
(上写真は新宿御苑よりNTT DoCoMoタワーを望む)
多摩川(Map)
たかだか2年のブランクなのに、こうも印象が変わってしまうとはちょっとした驚きでした。
そんな中で「唯一変わってない気がする」と感じられたのが、丸子橋からの多摩川の風景でした。
それは「ある意味正しい心象である」と、胸に手を当て「ナットク」です……
【東京都・神奈川県】
九品仏(Map)
4月1日に上京しました。
新横浜で新幹線から降り立った最初の印象は「ムッと来るこの空気は何?」(息が詰まる感覚)でした。
数字からイメージする気温の感覚より高く感じられることに通じるのではと思いますし、京都・大阪(高槻)では、逆に数字からイメージする気温より低いのでは? と感じていました。
「東京の空気は不純物(有害物質?)密度が高いのではないか?」というのが新横浜に降り立った時の第一印象です。
もちろん(?)喫煙車両から出てきたわけですから、その有害物質の種類が違うと感じたことを伝えたかったのですが、季節柄、花粉等の影響があるのかも知れません(夏は新横浜に降り立った瞬間「あぁ、涼しい」と感じたものですが)。
そんな経験をされた方はいらっしゃらないでしょうか?
前回の宿題と言いますか、九品仏(浄真寺)に行ってきました(近くに住んでいたのに、関心が無かったもので)。
やはり京都の浄瑠璃寺と同様に、九つの仏様を祀る「九品往生」(くほんおうじょう)という思想に由来することから「九品仏」という通称が生まれたようです(1678年開山というので江戸時代)。
その由来は、人物・物の性質をまず上品・中品・下品に分け、それをまた一品ずつそれぞれ上・中・下の三品に分け「九品」とするそうで、「上品(じょうひん)」「下品(げひん)」の語源はこれによるのだそうです。
出てくる頃、関西の桜はまだ5分咲き程度でしたが、こちらはちょうど満開というか散り始めでしたので、得をしたのか損をしたのか(プロセスを楽しめず)よく分かりませんが、観ることはできました。
桜の満開は関東が早いのですが、花粉は関東の方が遅いようです。
と言うか、飛散の全体量が多いのかも知れません。
花粉症の方、もうしばらくの辛抱です……
砧(きぬた)公園(Map)
今回の東京訪問では、以前暮らしていた東横沿線の武蔵小杉隣の新丸子のホテルに滞在しています。
以前の生活空間を歩いてみましたが、見覚えのある(2年前とは大きく変わらない)商店街などの光景が見られるのですが、どうも実感をつかめない距離感のようなものがあるように思えてしまいます。
生活感とはそういったものなのだろうとは思いますが、思い出されるのがどうも良くない印象ばかりというのは、わたしがネガティブな人間である証明なのだろうか? とも思いますが、人はみなそう言う面を持っているのではないか? と言う程度は言わせて下さい……
武蔵小杉(Map)
武蔵小杉周辺は再開発の真っ最中で、どデカイマンションが林立しており、どうなっちゃうんだ? という印象です。
大阪でも土地をかき集めてビルを建てて売っ払うことでお金にしようとする動きが活発ですが、現在それが可能な地域は東京圏に限られているのではないかと思われます(東京の真似をして大阪はまた痛い目に遭うのでは?)。
神戸や大阪の中心地では取引が活発なようですが、新幹線の駅のある新神戸や、南港ポートタウン線と地下鉄のターミナルである住之江公園駅の駅ビルなどは空き店舗が目についたりします。
前述は最近見た一例ですが、日本はもう既に成長の限度(ピーク)を超えていると思われてなりません。
経済のグローバル化に対抗するために、国内でも大きな収益を上げようと「寄せて、集めて、上げて」見栄えを良くして売りつけようとする商売が目につくように思うのですが、もうそんな商売が成り立つのも東京だけなのではないでしょうか?
東京が大きくなることは、日本の象徴(シンボル)として悪いこととは思わないのですが、立ち止まって考えてみれば問題点は誰の目にも明らかになると思われます。
ひとりの女性が出産する子どもの数は2人以下で横ばいを続けているので、人口は増えていきません。
だからといって、海外からの移民を大々的に受け入れるという政策がとられているわけでもなく、国民の心理としても受け入れられるとも思えません。
そんな状況下で東京に「寄せて、集めて、上げて」しまったら、地方が陥没してしまうことは明白と思われます。
東京中心の発想しか持たない政府は「ダメなら東京にいらっしゃい!」とでも言ってるように思えて仕方ありません。
地方出身で東京に暮らしている方々も「今の生活を守ることが第一」でしょうから、故郷への思いはあれど地元を支えるという余裕など無い人の方が圧倒的と思われます。
でも、どうしたらいいのでしょうか?
このままでは「帰る故郷」が無くなってしまう、という視点から「故郷創生的・日本列島改造論」というようなものが必要だなんて思ってしまうのですが、ちょっと大風呂敷すぎますかね……
新宿御苑(Map)
京都では高層建築物の自主規制を始めています。100年単位で町の将来を考えられる都市は、日本では京都だけではないか? と思ってしまいます。
確かに、資産価値がある町だからそれを守ろうとする原動力が生まれることも理解できますし、町作りにはそれくらいの「ビジョン」がなければ、外に誇れるものはできないのではないか? とも思えます。
近ごろの東京では「江戸」なる名称を使いたがるように思われますが、それはどんなビジョンによるものなのでしょう。
経済を牽引する都市に都市計画のようなビジョンは持てない、という考えも理解できますが、わたしが住みたい町を選択するならば、比較以前の答えと言うのでしょうか「絶対、京都!」です。
と言うか、住みたいなぁ〜。
(上写真は新宿御苑よりNTT DoCoMoタワーを望む)
多摩川(Map)
たかだか2年のブランクなのに、こうも印象が変わってしまうとはちょっとした驚きでした。
そんな中で「唯一変わってない気がする」と感じられたのが、丸子橋からの多摩川の風景でした。
それは「ある意味正しい心象である」と、胸に手を当て「ナットク」です……
2008/01/03
元旦を祝う中華街──横浜散策
2008.1.1
【神奈川県】
今年の正月は横浜です。
帰省したらどこ行こう? と考えたとき、都内はどこも混雑する絵しか思い浮かんでこなかったのですが、横浜は初詣客もいないし裏から行けば(湘南台から地下鉄)何とかなるかも、と思ってのことです。
関東圏を離れて思ったのですが、世の中の情勢に遅れず情報を入手でき、暮らす人たちの地域への愛情が厚く、外の人たちからも愛される町と考えたとき、東京以外で一番便利で住みやすい町は横浜なのではないか? と、近ごろ思ったりします。
──「情報の早さ」という条件を外せば、いくらでもいい町はあると思います。それも、お金を払えばどこでも入手出来る時代になっています。
媽祖廟(まそびょう)(Map)
石川町から中華街に足を踏み入れた途端、路上に散乱するおびただしい爆竹の残骸に「おぉ、派手にやったなぁ」と思ったのですが、はて、中国では春節(旧正月)を祝うのでは?
関内などは閑散としているのに、中華街だけはお店も全開、お客も普段と変わらぬ賑わいです。
中華街では春節(旧正月)が一番のお祭りだろうと思うのですが、関帝廟(かんていびょう)でお札を買う行列はすさまじいものがありました(門の前で連れの帰りを待つ人も大勢います)。
これ想像ですが、日本で暮らす中国系の人は勤務体系も違うので春節(旧正月)に休めなかったりするのではあるまいか? だからせめて同胞が同じ気持ちで祝える場に集うのでは? と。
だとしたら、中華風な新春の雰囲気を味わうには絶好の一画と思われます。こだわりも大切かも知れませんが、順応も大切な生きるすべですから、そんなところにもしたたかさが感じられる、と言ったら失礼でしょうか?
でも、そんな光景にも「うわぁ、中国みたい!」と、われわれははしゃいでいるわけですから、怒らないよね。
上写真は知らないうちにできた(06年3月開廟)媽祖廟にある願い札を結ぶ木で、クリスマスツリーのようです。出来たばかりだからでしょうか、ここはそれほどの混雑はありませんでした。
氷川丸(Map)
運営会社が解散し、「氷川丸」(右写真)は日本郵船、「マリンタワー」(下写真)は横浜市に譲渡され、共に開港150周年に向けての改修中で、昔からのシンボルがリフレッシュされるそうです。
どんな新しい姿を見せてくれるのでしょうか、とても楽しみにしています。
定番の写真をおのぼりさんみたいに撮ってしまいました……
大桟橋(Map)
そんな新しいシンボルのひとつが「大桟橋」です(赤レンガ倉庫は人多すぎ!)。
わたし、近頃の新しい建造物ってどうも好きになれないのですが、この大桟橋は大好きです。
海底の秘密基地への入り口か? と思うようなエントランス。対照的に海辺の公園かと思わせてくれるとても親しみの持てるウッドフロアで覆われたデッキ。
自宅にこんなベランダがあったら…… などと少女趣味的な夢を見てしまいます。
今風の「人の心にやさしい建築物」という印象があり、容姿と合わせてコンセプトにも「ゆるやかさを持つ環境」を提供してくれる存在、と心酔しており(港の空気が作用しているのかも?)、横浜散策時には必ず寄ってしまいます。
でも、大きな窓のカフェが禁煙になってしまい、カフェオレを3口くらいで飲み干してそそくさと出てきたら、玄関の表に灰皿がありました。
これも人の心への配慮なのでしょうから、文句を言うつもりはありません。
ただ、お店探さなきゃ! です……
翌2日は、相模川(本厚木)を歩きました。
小さな鳥を撮るのは難しいー!
というおまけです。
【神奈川県】
今年の正月は横浜です。
帰省したらどこ行こう? と考えたとき、都内はどこも混雑する絵しか思い浮かんでこなかったのですが、横浜は初詣客もいないし裏から行けば(湘南台から地下鉄)何とかなるかも、と思ってのことです。
関東圏を離れて思ったのですが、世の中の情勢に遅れず情報を入手でき、暮らす人たちの地域への愛情が厚く、外の人たちからも愛される町と考えたとき、東京以外で一番便利で住みやすい町は横浜なのではないか? と、近ごろ思ったりします。
──「情報の早さ」という条件を外せば、いくらでもいい町はあると思います。それも、お金を払えばどこでも入手出来る時代になっています。
媽祖廟(まそびょう)(Map)
石川町から中華街に足を踏み入れた途端、路上に散乱するおびただしい爆竹の残骸に「おぉ、派手にやったなぁ」と思ったのですが、はて、中国では春節(旧正月)を祝うのでは?
関内などは閑散としているのに、中華街だけはお店も全開、お客も普段と変わらぬ賑わいです。
中華街では春節(旧正月)が一番のお祭りだろうと思うのですが、関帝廟(かんていびょう)でお札を買う行列はすさまじいものがありました(門の前で連れの帰りを待つ人も大勢います)。
これ想像ですが、日本で暮らす中国系の人は勤務体系も違うので春節(旧正月)に休めなかったりするのではあるまいか? だからせめて同胞が同じ気持ちで祝える場に集うのでは? と。
だとしたら、中華風な新春の雰囲気を味わうには絶好の一画と思われます。こだわりも大切かも知れませんが、順応も大切な生きるすべですから、そんなところにもしたたかさが感じられる、と言ったら失礼でしょうか?
でも、そんな光景にも「うわぁ、中国みたい!」と、われわれははしゃいでいるわけですから、怒らないよね。
上写真は知らないうちにできた(06年3月開廟)媽祖廟にある願い札を結ぶ木で、クリスマスツリーのようです。出来たばかりだからでしょうか、ここはそれほどの混雑はありませんでした。
氷川丸(Map)
運営会社が解散し、「氷川丸」(右写真)は日本郵船、「マリンタワー」(下写真)は横浜市に譲渡され、共に開港150周年に向けての改修中で、昔からのシンボルがリフレッシュされるそうです。
どんな新しい姿を見せてくれるのでしょうか、とても楽しみにしています。
定番の写真をおのぼりさんみたいに撮ってしまいました……
大桟橋(Map)
そんな新しいシンボルのひとつが「大桟橋」です(赤レンガ倉庫は人多すぎ!)。
わたし、近頃の新しい建造物ってどうも好きになれないのですが、この大桟橋は大好きです。
海底の秘密基地への入り口か? と思うようなエントランス。対照的に海辺の公園かと思わせてくれるとても親しみの持てるウッドフロアで覆われたデッキ。
自宅にこんなベランダがあったら…… などと少女趣味的な夢を見てしまいます。
今風の「人の心にやさしい建築物」という印象があり、容姿と合わせてコンセプトにも「ゆるやかさを持つ環境」を提供してくれる存在、と心酔しており(港の空気が作用しているのかも?)、横浜散策時には必ず寄ってしまいます。
でも、大きな窓のカフェが禁煙になってしまい、カフェオレを3口くらいで飲み干してそそくさと出てきたら、玄関の表に灰皿がありました。
これも人の心への配慮なのでしょうから、文句を言うつもりはありません。
ただ、お店探さなきゃ! です……
翌2日は、相模川(本厚木)を歩きました。
小さな鳥を撮るのは難しいー!
というおまけです。
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