2008/04/14

鎌倉再認識──円覚寺、建長寺

2008.4.9
【神奈川県】

 「京都を知り、鎌倉を見直したい」という思いが強くあったのですが、予定と天候の都合(翌日が雨の予報)により駆け足で定番スポットだけを回ってきました。
 そこで感じたのは、わたしはこれまで鎌倉に通って何を感じてきたのだろうか? ということでした。


 円覚寺(Map)

 「いいくに(1192年)つくろう鎌倉幕府」程度の認識しかないくせに「鎌倉の散策なら案内しますよ」なんて顔をしていたことを思い出し、恥ずかしくなってきます……
 京都の禅寺を巡るうちに「鎌倉五山」の表記に接し「そういえば、円覚寺や建長寺にも坐禅道場があったから禅寺なんだよね」という程度の認識で、これまで円覚寺や建長寺を「禅寺」と意識して見ていなかったことに気付き、今回是非にも訪れたいと切望していました。
 今回鎌倉の禅寺からは、日本に伝えられた当時の禅思想に近しいと思われる素朴な有り様が、そのまま受け継がれてきたのではないかとの印象を受けました。
 しかし鎌倉の禅宗も「臨済宗」ですから、その祖は「栄西」と歴史教科書から習いました。彼の足跡は京都・建仁寺に残されていますが、鎌倉では目に出来ませんでした。
 そこでもう一度調べてみると、京都の建仁寺が日本で最も古い禅寺とされるそうで(そこに栄西の名が残されている)、以下のような記述がありました。
 建仁寺派:1202年(京都)
 東福寺派:1236年(京都)
 建長寺派:1253年(鎌倉)
 円覚寺派:1282年(鎌倉)
 南禅寺派:1291年(京都)
 国泰寺派:1300年(富山県)
 大徳寺派:1315年(京都)
 向嶽寺派:1327年(山梨県)
 妙心寺派:1337年(京都)
 天龍寺派:1339年(京都)
 永源寺派:1361年(滋賀県)
 方広寺派:1384年(静岡県)
 相国寺派:1392年(京都)
 佛通寺派:1397年(広島県)

 建仁寺、東福寺は兼学であったので、日本最初の禅専門道場は建長寺であったようですし、鎌倉に残されているものが、日本に伝えられた当時の禅宗の原型をとどめているのではないか、と思われます(より詳しいことの探求は控えさせていただきます)。
 京都のそれは、見事に形式化されていることを見ても「日本式」として、お上独自の解釈(?)から基準が定められたのではないかと思われます。


 上写真右側は(中央もそうですが分かりにくいか?)、1本の竹から作った装飾ではないかと思われます。


 無粋と思うのですが、墓石の写真です。
 ここには『東京物語』などの名作を残された小津安二郎監督のお墓があります(「無」とあります)。
 ガキころは「残すものは何もない」というような物質的なものを想起していたのですが、今回は「無かったことにしてくれ」(無に帰する)という意志とも受け止められました……


 建長寺(Map)


 拝観券の裏にある「天下禅林」(てんかぜんりん:人材を広く天下に求め育成する禅寺)の言葉が、スポーンと心に入ってきました。
 わたしも確かな意味を理解しているわけではないのですが、この言葉の響きには曇りがないというのか健全な志が感じられ、何の抵抗もなく「いい言葉だ」と受け入れられて、心にしみ込むこと実感できた気がしました。


 円覚寺、建長寺には京都の禅寺のような装飾というか贅沢さがありません。
 要するに、お上(天皇)がいるわけではないので、鎌倉時代の終焉と共に奈良と同様の「古都」となったわけで、後の権力者達から振り向かれない存在となったゆえ、当時のままの素朴さが残されてきたのではないかという気がしますし、そんな環境こそが禅の修行にふさわしかったのではないかとも思われます。
 しかしこれらのお寺は狭い谷筋に建てられていて、東京に近いこともあり手軽な散策に訪れる人も多く、いつの季節でも「ザワザワ」しているので、いまどきの修行場としてはどうなんでしょうねぇ。
 だから早起きして坐禅をする、のでしょうか?

 頼朝がこの地に幕府を開いた理由のひとつにこの地が、海に面した適度な広さの平地を三方の山が囲んでいる「天然の要害」だったからと聞いた覚えがありますし、朝比奈の切通しは港の開けていた金沢八景付近からの物資運搬路であったと聞きます。きっと鎌倉にはあえて港を作らなかったのだと思われます。
 それが敵だけではなく文化の侵入を防ぎ、そのおかげで京都の禅寺のような形式美を求めることなく、大仏や観音様がひとつの浄土として残され「渋い」存在でいられたのかも知れません。
 しかし現代では、海の存在は開けていると考えられるので、奈良や京都にはない類の観光客までもが(海を求めて)集まっています。
 わたしには、それが最大の魅力とも思われます。京都には海がないので、(海好きのわたしは)たまに窒息しそうになります……

 ここの法堂(はっとう)天井画の雲龍図は、京都建仁寺法堂「双龍図」の作者小泉淳作という方によるものだそうです。
 描き替えの時期が近かったりすると、龍の天井画を描ける画家は限られてくるというか、そもそもそんな画家の存在自体数が少ないのでは? と思ったりもします。

 「けんちん汁」とは、建長寺の修行僧が作っていた「建長汁」がなまって「けんちん汁」になったという説があるそうです。


 鶴岡八幡宮(Map)


 この日は、夕方に予定があったので通りすがりに1枚だけです。


 釈迦堂切通し(Map)

 一枚目の写真が北側からのもので、これが南側からになる「釈迦堂切通し」の絵です。
 鎌倉を歩き始めたのは、きっとこの絵を探したかったから? とも思うお気に入りの場所で、よく出てきますが映画『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)の舞台として使われたロケーションです。
 山に囲まれた鎌倉には多くの切通しがありますが、ここが最も風情のある場所と思いせっせと通っていました。
 ──もっとワイルドな印象の「朝比奈の切通し」は、機会があればご紹介します。亀ヶ谷の切通しは手軽に行けて「海風の通り道」を感じられる心地いい場所で、峠の場所に椅子が置いてあったります。



 ●八景島シーパラダイス──4月7日(おまけ)


 「白イルカに会いたい!」と訪れたのですが、タイミング的に「運動の時間」だったようで、ジッと見つめ合ってのアイコンタクトが実現せず残念……
 新しく「ふれあいラグーン」という施設が新設されて、今風の身近な水族館(動物園)を目指して奮闘中という意気込みが感じられ、また来ようかなぁと思っています。
 ──「島根のおじさん」にはちょっと会いに行けないと思うので……

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